2012年01月11日
お化け屋敷ゲーム考
みなさんこんにちは!ジョームの田中です。
昨日・一昨日は激しく降雪した札幌でしたが、今日は激しく晴れております。
私が子供だった頃。
お化け屋敷ゲームというバンダイのボードゲームがありました。親戚のお姉ちゃんが持っておりまして、盆・正月の帰省の折は、お化け屋敷ゲームと共に帰省してくるお姉ちゃんが楽しみでなりませんでした。
お化け屋敷ゲーム。
どんなゲームかというとこんなゲームでございまして、当時、タカラとエポックで二分していたボードゲーム市場に、バンダイが殴り込みをかけたドラキュラゲームにつづく第2弾のゲームだったとのこと。
当時テレビCMも行っており、6歳くらいだった私の記憶には「勇気と力で!勝負!」という映像と音声が焼きついております。
勇気・力・知恵、この3枚のカードから適切な攻撃スタイルをチョイスして戦いながらゲームを進めていくというもの。力しか通用しない敵に対して知恵で臨もうとすると必然、負ける(通じない)。そういうルールだったように記憶しています。
30年あまり経過して。
半年ほど前から、よくこのゲームのことを思い出します。社内外を問わず変化する環境と対峙する時、部下・上司・お客さんなど人と対峙する瞬間。
知恵が足りないなぁとか力が足りないなぁとか勇気が足りないなぁとか感じます。
そして最近は、勇気の存在と重要性を強く認識するようになってきました。
力・・・政治力、声の大きさ、強引さ、リーダーシップ、健康度・体力、衝動
知恵・・・知識、スキル、洞察、思考、判断、予測・推定
勇気・・・行動、選択行為、自己肯定、意思
自社におけることだけでなく、自分自身の時間経過においても。常に変化していくことがあります。
肉体は当然ながら時間経過とともに衰えという変化をしていきますが、それに反して、自身の考え方は時間経過とともに、変化しにくくなっていくものではないでしょうか。時に強く固定される考えの状態を「信念」と認識し始めると、なおさらに変化は少なくなるように思われますし。
かといって、いつまでも定まらない考え方の有り様だと、考えがふらついていると言われますし、その塩梅は難しいものです(笑
しかし、変化しなければならない、もしくは、した方がよい状況下でなかなか変化できないのはなんでか?分かっているのにできないのはなんでか?理解も認識もできているのに実現できないのはなんでか?
習慣の打ちこわしを阻害するポイントは私は「恥ずかしさ」にあるのではないかと思う次第です。
分かっているけど実行できないもの。その人に言われたからそれをするとしたら、なんとなく恥ずかしい。もしくは、しゃくだ、侵食されたような気分になる。分かってるんだけどさ(笑
こういう風に思うことは意外と多いのではないでしょうか。
適切であることがわかっていてもそれをしない時、頭の中では概ね、合理化・分離・攻撃といった防衛機制的態度をとることが多いのではないでしょうか。わかっているのに。。。いや、わかってるけどわかりたくない時はどう受け止めていいかわかりませんものね。
実際、私自身にもそういうシーンはよくあります。
しかし、自身の洞察に基づいて是であるとわかっているのに、その行為を選択できないとすれば、最終的には力でも知恵でもなく、勇気の問題が残るのではないでしょうか。勇気の問題は自身との対峙以外になく、誰かがそれを手助けしてやれることでもない。答えはやはりココロの中にあるらしい。
上記の考えは一般的な風景や人間関係から発想した考えですが、例えば、ダイレクトマーケティングにおけるクリエイティブについても、人の勇気に働きかけるコピーや表現、知恵や力に働きかえる表現といったものも考えられそうですね。だって、ダイレクトマーケティングにおけるメッセージや表現って相手に何等かの行動を促す意図やお願いがそもそもあるのですから。。。
- 2012年01月11日| 常務取締役 田中







